”私はあなたのことが大好き。
だけどね、ずっとは一緒にいられないの。”
……そんな苦い別れ話のようなセリフからスタートした、
娘との話し合い。

この夏休み、頼みである保育園には預けられず、長い長い娘との時間が私の理性を揺さぶってきた。
予想と対策はある程度していたはずだが、どうしたってイライラは剥き出しになる。
きっかけは至ってシンプル。
昼寝をしてくれない
用意したご飯を食べてくれない
仕事をしたいのにベラベラ話しかけられる
そんな、3歳児なら当たり前の習性だ。
そこへ怒りをぶつける33歳母。
「言うこと聞け!」
「寝ない子は嫌い!」
理不尽極まりない言葉を浴びせてしまう。
大の大人が、こどもを相手に途端にこどもっぽくなってしまう。
どうしたってぶつかってしまう、大人になんてなれない。
夜、相方(夫)が帰宅して早々、
「遅い!」←予定どおりの帰宅
「風呂一緒に入りたくない!」←もう風呂を済ませて帰ってきた相方に、娘と入れと無言の強要
「タネつくっといて」←朝から「今日はぎょうざだよ!」と期待させておきながら、仕込みを中途半端な状態で丸投げ
不機嫌モード全開で、家事育児を相方に押しつけ、ひとり風呂へ逃げ込む。
肌寒くなってきた夜。
追い焚きした湯にじんわり浸かっているうちに、少しずつ心も温まってきた。
「……話し合おう。」
ふと、そう思った。
それから家族3人で囲む夕飯の食卓。
姿勢を正し、3歳児と意を決して向き合った。
「話がある。」
ずっと一緒にいると、イライラしてしまう
ひとりの時間がたくさん欲しい
たくさんあれば結果的にあなたに優しくできるのよ
お互い一人時間をもっと作ろう
そんな類いのことを、できる限り噛み砕いた言葉で伝えた。
すると、3歳児から「はい!」と挙手。
どうぞ。娘のターン。
娘「おうちにね、みんないないと、まーぽ(じいじ)たちがきたとき、寂しくなっちゃうと思う。だから、それだけは、やめてね?」
突然の話題転換……?
いや、遠回しに何かを伝えようとしているんだな。
「もしも、の話をできるのって、想像力があってとても良いことだよ!」
「だから、かあちゃんが怒ったり寂しくなる気持ちも、想像してほしいな」
……こじつけか?
しかし、論点を戻してもいいよな。
他にも、いろいろと日頃感じていることをいっちょまえに主張してきた3歳児。
その目は真剣そのものだ。
もちろん3歳児らしく支離滅裂なところも多々あり、つい夫婦で吹き出しそうになったが、
本人が必死に伝えようとしてくれていることはじわじわ効き、そのうちに、彼女はすごく大事なことを言っているような気もしてきた。
「かあちゃん一人になりたいから、ほんとはおそとにひとりで行きたいけど、そうすると、危ないからだめっていうでしょ?」
た、たしかに……。
意外な角度から、やはり遠回りながらも、論点に近いことを言っている。
この子は、対話ができる。
そんなことを実感した夜だった。

この一件で痛感したこと。それは、
3歳児を3歳児だからと侮るべからず。
同様に、33歳もまだまだ未熟な33歳児である、ということ。
娘はすでにかなり対話ができているし、相手と向き合おうという強い眼差しを持っている。
こちらの意図も汲み取り、すぐさま修正する力もある。
そんな彼女に、
「どうせ伝わらない」と見切ってしまうのは、あまりにももったいないと感じた。
年齢がどうだ、一般的な成長過程がどうだ、という基準はもちろんある。
でも、それだけで我が家がうまくいくわけではない。
結局は、我が家に合う方法を、我が家なりにカスタマイズしていくしかない。
「筋通そうぜ」的な、やくざ的側面が少しある(?!)私は、真正面から根本的解決に向かっていきたい性分。
言いすぎたときはほとぼり冷めた頃にきちんと誤り、納得できない部分はとことん話し合う。
そうやって、たとえ相手が3歳児だとしても、対等にぶつかっていきたい。
次の日、娘に簡易的なキッチンタイマーを渡し、これが鳴るまでお互い一人時間にしようね。と伝えると、黙々とお絵描きに勤しんでいた。
お昼寝もすんなりしてくれた。
そして、娘が昼寝をしてくれたおかげでこのブログを書いている。
この夏休み期間、どうやって娘と向き合っていきたいか。
模索の第一歩となる良い機会になったようだ。
これからも、我が家らしいやりかたで模索していこう。


正しさや正解を超えた、愛だ。
まっこちゃんの愛を頂いた…