フォトグラファーなのに、なぜ酒場……?
そう思われる方もいるかもしれません。
でも私の中では、写真も酒場も、向かっている先は同じ。
むしろ元々宿を開きたい!とずっと公言してきた私にとって、場づくりは私の長年持ち続けてきた夢。
そんな酒場を、去年から間借り営業という形でオープンさせていただきましたが、いったんお休み期間を挟み、先日ほぼ1年ぶりに再び始動しました。
なぜ酒場をはじめたのか。
経緯や思いのたけを少しお話させてください。

写真でできることを模索し続けた上で、抱いた疑問
私はこれまで家族写真の出張撮影フォトグラファーとして7年ほど活動してきました。
七五三やお宮参りといった節目の日から、なんでもない日常まで。
小さなお子さんのいるご家庭を中心に、暮らしに寄り添う撮影を続けています。
私はこのお仕事が好きです。
すごく好きだし、向いている。我ながら天職といっても良いくらい。
実は元々、フォトグラファーを目指していたわけではありません。ひょんなことからカメラを手にし、どうせならどこでも生きていける仕事を身につけたい!と思って始めた写真でした。
それがここまでハマるとは。
それが、人の人生に関わり、家族という唯一無二の営みに寄り添う仕事に、いつの間にかなっていた。
この仕事は、偶然にも、私が生涯をかけて担っていきたい役目とほぼ一致していたのです。
この仕事を続ける中で、ある疑問が頭から離れなくなりました。
“写真は家族の幸せに直結しているか?”

もちろん、写真には力があります。
10年後、20年後に写真を見返したとき、その一枚が誰かの心を支えることもある。
そのような写真の可能性を私は信じています。
一方で、
目の前の人に必要なのは、写真なのか?写真じゃなくてもいいのでは?
と、どんどん理想が揺らいでゆく。
ここ10年ほどで出張撮影という文化は広がり(地方ではまだまだかな泣)、SNSの普及やカメラの進化もあり、写真がより身近になりました。
すると、お客さまの写真を依頼する理由も、少しづつ変わってきたようです。
家族で過ごす時間そのものを大切に残したいという想いから依頼をくださる方がいる一方、SNSに投稿するための「映える写真」を求める方も増えているように感じます。
それに応えるように、フォトグラファー側も目を引く演出やキャッチーな表現を重視する流れが強くなってきたようにも感じます。
「自然体」や「ありのまま」という、本来”非演出的”な言葉さえ、一つの演出として消費されるようになり、”映え”ではないように見えるものが、新しい”映え”になっている。
そんな感覚を覚えることが増えました。
それ自体が悪いと言いたいわけではありません。
ただ、その流れの中で、私自身も「自然体」や「家族らしさ」という言葉を発信するたびに、「これも映えを意識した人の心を動かすためのキャッチコピーになってしまっているのではないか」と立ち止まるようになりました。
写真という表現が多くの人に開かれたこと自体は、とても素敵なことなはず。
だからこそ、私が大切にしたいのは、万人受けする見栄えの良い写真を届けることではなく、「誰のために、何を残すのか」ということ。
そんな問いと真剣に向き合うようになったのです。

気持ちのいい価値交換がしたい
かくゆう私自身も、写真の価値をうんぬん語れるほどの人物ではありません。
ただ、写真は私にとって、自己を表現するために無くてはならない存在。
写真の価値を信じているからこそ、きちんと対価をいただくことで、仕事に真摯に取り組むことができると考えています。
だからこそ、だからこそです。
この写真は、本当に目の前の人に必要なものなのだろうか?
が気になるのです。
世の中の相場や、「みんな撮っているから」という理由ではなく、その人自身が「今の自分たちに必要だ」と思って選んでほしい。
いくら良いものを届けたいと思っても、相手がそれを必要と思っていない時点で(もしくは必要だと思い込んでいる場合)、それは私にとって気持ちのいい仕事とは言えません。
私がこだわるのは、お互いが納得して、気持ちよく価値を交換できること。
少しわがままに聞こえるかもしれませんが、理想の図式はシンプル。
私が撮りたい家族と、私に撮ってほしいと思ってくれる家族が出会うこと。
その関係性の中で生まれる写真が、一番自然で、一番豊かなものになるはずです。

人と出会える場を、もう一つ増やす
家族というは本当に複雑な人間模様のオンパレード。
みんな、色々あるよね。色々あるから、うまくいかないこともたくさんある。
だから私は、時々思うのです、
節目だから、記念だから、と無理に家族写真を撮るくらいなら、その時間を家族でゆったり過ごす時間に代えてほしい。
そもそも、出張撮影を頼んだことのない人(頼む予定もない人)の方が圧倒的に多いはず。
プロを依頼せずとも、自分たちらしく幸せに時を刻み、味わえるご家族はきっとたくさんいます。
そんなことを考えると、私自身が出会える層を自らせばめてしまっているような気がしてきました。
「私は、この先も写真だけで人と関わっていきたいのだろうか。」
この問いに対して、表現の幅を広げていくことを解決先の一つとして考えてきました。
さまざまな人と出会い、多様な価値観や暮らしに触れることは、私の人生において不可欠。
それは旅をすることと変わらず、好奇心をくすぐり、成長意欲を掻き立て、人間として成長させてくれる時間でもあります。
だから私は、写真という表現だけにこだわらず、人と出会えるもう一つの場所をつくりたいと思いました。
それが、酒場です。
フォトグラファーの仕事を蔑ろにしたいわけではありません。
むしろ、人と向き合う経験をもっと重ねることで、写真にも深みを持たせたい。
人間としての表現力を磨き、その先に、もっと豊かな写真を届けられるようになりたい。
そんな思いが、私の酒場開業の目論みです。

巻いた種が芽吹くとき
長野に移住してから、矢継ぎ早にありがたいご縁が飛び込んできました。
その一つが、今回「トナリデ」さんで間借り営業をさせていただく機会です。
実は、大学を卒業した頃くらいから、いつか宿を開きたいという夢がありました。
その宿には、お酒を飲みながら人が語り合う空間もつくりたいという構想がすでにあり。
それからまぁまぁ波瀾万丈を経て、なかなか宿開業には至りませんでした。
引き換えに、その過程で出会えたのが、フォトグラファーという天職とも言える仕事。
人の人生に寄り添い、家族の時間を見つめ、その人らしさに触れる。
気づけば、宿でやりたかったことと、写真を通してやっていることは、どこかでつながっていました。
そして今回、思いがけない形で酒場を始めることになりました。
泥臭く蒔き続けてきた種は、思いもよらない場所で芽を出すことがある。
だからこそ、この酒場は「新しい挑戦」というより、遠回りしながらも自分の歩いてきた道が一本につながった瞬間なのかもしれません。
ここまで本当に色々あったから……よかったなぁ……
今書いててなんだか泣けてきました。
私にとって酒場を開くことは、人生の大きな節目であり、新たなスタートでもあります。

写真も酒場も目指す先は同じ
こうして振り返ってみると、フォトグラファーの私が酒場を始めたのも必然に思えてきます。
写真も酒場も、目指していることは変わりません。
家庭の中に、小さな平和を増やすこと。
そして、自分なりの表現を通して、人を笑顔にすることです。
写真には、人の心を動かす力がある。
けれど、写真と撮るその瞬間だけ仲良い雰囲気をつくって、家庭の中にある課題が根本から解決するわけではありません。
正直、「写真撮ってる場合じゃないよー!」と思うこともあります。笑
たまにはお子さんを誰かに預けて、一旦家事や仕事も脇に置いて、夫婦で飲みにいきましょう。久しぶりにデートでもしちゃいましょう。
夫婦間の対話の場が少なくなっていくことが、私はとても心配です。
すれ違いは一度そのままにすると、最初は小さきことでも、どんどん不穏な空気を蓄積していきます。(経験談)
お家の外に出て、新しい空気を吸う。
その一歩が、家庭に新しい風を運んでくれることもあるでしょう。
思い込みとか、勘違いでもいいじゃないですか。
ちょっとしたきっかけが案外大きな変化に繋がったりするものです。
酒場や写真を通して、平和なご家庭が増えていったらいいなぁ。
そして私自身も、やりたいことを貪欲に追求することで、我が家にも、出会う人たちにも、いい循環を生んでいけると信じてます。
今日は少し尖ったことも発してみたけど、共感してくださる方がいたら嬉しいです。
酒場にもどうぞふらっとお越しください。
どこかでお会いできる日を、楽しみにお待ちしてます。

